【物語風コラム】「釣れなくても楽しい」時代へ。釣りの価値観が変わった理由とは?

かつて、釣りとは「どれだけ釣ったか」がすべてだった。
クーラーボックスの中が魚で満たされるほど、男のプライドが満たされた。
しかし、現代の釣り人たちはこう言う。

「今日はボウズだったけど、めっちゃ楽しかったよ」

釣果ゼロでも笑顔で帰る釣り人たちが、なぜ増えたのか。
その背景には、日本の社会と価値観の大きな変化がある。


■ 昭和の父と、令和の息子の釣り

ある父子がいた。
父は70歳、昭和の時代を生き抜いてきた元漁師。
息子は35歳、広告代理店勤務で、週末にはルアー釣りを楽しむ趣味人。

二人は和歌山の漁港に並んで釣りをしていた。
父はサビキ仕掛けでアジをねらい、息子はメタルジグで青物を探す。

午前中いっぱい釣って、釣果はというと——
父は30匹、息子はゼロ。

すると、父はぼそっと言った。

「釣れんでも、楽しいもんか?」

息子は笑いながら答える。

「釣れたら嬉しいけど、釣れなくてもいいんよ。
この風、潮のにおい、竿を振る感触。全部が気持ちいいんや」

父はしばらく黙っていた。
だがその口元は、少しだけ緩んでいた。


■ 釣果がステータスだった時代

昭和・平成初期の釣りは、「いかに数を釣るか」が重要だった。
・家族や近所に配る
・冷凍庫に保存して生活費の足しにする
・釣った数が実力の証になる

釣果はそのまま釣り人の“戦績”であり、“男の勲章”だった。
磯では「クーラー2杯分釣ってなんぼ」などという武勇伝が語られた。

しかし、現代の釣り場をのぞいてみると様相は一変している。


■ 「釣り=レジャー」の時代が到来

令和に入り、釣りの目的は明らかに変わりつつある。
釣果よりも「癒やし」や「リフレッシュ」を求める人が増えている。

【現代の釣り人が釣りを楽しむ理由】
・自然の中に身を置くことでストレスが解消される
・釣りの工程そのものが楽しい(準備・観察・試行錯誤)
・SNSでの共有や写真撮影が目的
・子どもと一緒に時間を過ごしたい

一匹も釣れなくても「楽しかった」と思える釣り人たち。
それは、釣果よりも「体験」に価値を見出すようになった証拠だ。


■ なぜ人々の価値観は変わったのか?

この「釣りレジャー化」には、いくつかの社会的背景がある。

● ① モノの豊かさから心の豊かさへ

日本が高度経済成長を終え、物資が満ち足りた社会になった今、
「たくさん釣って食糧にする」必要性は薄れた。

代わって重要視されるようになったのが、「心の充足」である。

● ② 忙しい現代人の癒やしを求めて

都市部で働く人々は、常に時間に追われ、精神的に疲弊している。
海辺で潮風に吹かれながら、何も考えずに竿を振る時間は、
まさに「現代の瞑想」ともいえる。

釣りは手軽にできるアウトドアでありながら、
精神のリセットにもつながる。

● ③ SDGsや自然保護の意識の高まり

現代の釣り人の中には、「必要以上に魚を持ち帰らない」という考え方も浸透している。
リリース文化もその一例だ。

「釣ること」よりも、「魚と出会うこと」に価値を見出す人が増えている。


■ 「釣り人の階層」が多様化している

現代の釣りには、大きく分けて2つのスタイルが存在している。

スタイル 特徴
釣果志向型 数やサイズを追求。競技性が高く、道具や技術にもこだわる。
体験志向型 自然や過程を楽しむ。釣れなくても満足度が高い。

この2つは対立するものではない。
同じ釣り場でも共存しているし、1人の釣り人の中でもシーンによって切り替えられる。


■ 釣果ゼロでも、記憶に残る「最高の一日」

さて、物語に戻ろう。

息子は、その日撮った一枚の写真をスマホで父に見せた。
竿を振る父の姿が、朝焼けの中にシルエットで映えている。

「これ、インスタに載せるわ。ええ写真やろ?」
「わしが写ってるんか? ……釣れてへんのにな」
「でも、めっちゃいい顔してるで」

父は少しだけ照れくさそうに笑った。


■ まとめ:「釣れる釣り」から「感じる釣り」へ

釣りとは、本来「魚を釣る」行為である。
しかし今、それ以上に「自然と向き合う時間」としての価値が高まっている。

・釣果を競う楽しみもあれば
・釣れなくても満たされる釣りもある

昭和の父と、令和の息子。
二人の価値観が交差する釣り場には、
新しい時代の釣りの形が、確かに生まれていた。

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