釣りと麻雀を本気で取り組んできた男 運とは何かについて

こんにちは

このカツオを釣ったスタッフがこの記事を書いています(笑)

自分はいま25歳で、釣りについては中学生から高校までの5年くらいバス釣りに熱中して、大人になってからは20歳から23歳くらいまで船釣りに熱中していました。

最近ではたま~に休みと天気が合えば釣りに行こうかな~って感じで、どちらかというと魚さばきや料理に熱中しています(笑)

アオリイカのカルパッチョ

23歳から最近までハマッていた遊びがありまして・・・

それが麻雀です。

熱入りすぎて自宅に30万で卓を買って、友達と四六時中打っていたぐらいハマっていましたね~

自分でいうのもなんですが、異常に強く負けることはほとんどありませんでした。

最近では、頭を使いすぎるのと時間が解けるのが早すぎるので、もう卓を手放すことにしたんですが・・・

 

とりあえず、これが前置き。

釣りと麻雀について、金も時間も意識も、すべて掛けてやり切ってきたが故に得た知見や人生哲学について書いていきましょうか。

※麻雀は金掛けてませんよw 卓を買うのにかけた金と捉えてください。

釣りから得たこと

大人になってから金と時間を一番つぎ込んだ遊び。

それは間違いなく【釣り】です。

最も熱中したのは、20歳から23歳くらいまでの3年くらいかな?

おそらく釣道具には100万以上かけたでしょうね。

ベイマルに行っては、欲しいものがあればすぐ買ってました。

一回の買い物で10万とか使ってたのでベイマルのスタッフさんも「こいつどっから金出てきてんねん」と思っていたでしょうね(笑) 釣り以外にお金を使わななかっただけですが・・・

和歌山 釣太郎 船釣り アオリイカ 完全フカセ ジギング エギング

では釣りから得たことを書いていきましょう。

釣りは、自然を相手にする究極の実力ゲーです。
一見すると、魚を釣るという行為は運任せに見えるかもしれません。しかし、実際は知識と経験の積み重ねがほぼ全てを決定します。釣れる魚の種類、釣り場の選び方、天候や潮のタイミング、ルアーの使い方・・・

これらを深く理解し、適切に判断できる人だけが結果を出せるんですよね。

久しぶりにお天気に恵まれたので、みなべ町堺堤防も釣り人でいっぱい。2024年12月25日水曜日。釣太郎

思い当たる節あるんじゃないですか?

堤防にズラッと人が並んでいても、よく釣る人間は決まって同じ人。

魚釣り=運 これはあっています。ただし全てではない。

気づかない(気づけない)レベルの微細な実力が、大きな結果として現実で差が生まれているわけです。

青物魚釣り、和歌山田辺芳養(はや)堤防ではカマスしか釣れません。釣太郎

釣りから学んだのは、「正しい試行は結果に直結する」ということ。加えて、「運も試行がなければ引き寄せられない」という現実です。例えば、青物釣りでは、いくら良い腕を持っていても、的外れな釣り場では釣果はゼロです。しかし、粘り強く情報を収集し、何度も挑戦することで、運が巡り、結果を得ることができるのです。

当店の青物ブログでおなじみのスタッフ関口ですが、これだけよく釣るスタッフでも「今日は全然魚なかったわ~」ということが多いってことです。

普通の釣人より情報を持っていて、どうやれば釣れるかを理解しているスタッフでも釣れないときは釣れない。ということです。

釣りのもう一つの教訓は、「試行回数の重要性」です。自然相手では必ずしも思い通りにいくわけではありません。それでも粘り強く竿を出し続けることで、思いがけない成果が訪れることがあります。この粘り強さは、人生における困難や逆境への向き合い方に通じるものがあります。

スタッフ関口のボウズの時もあるって事実に話を戻しましょうか。

これだけ精度の高い青物釣り師ですら、裏を引くことがあるっていうこと。

圧倒的な試行回数の中でしか得られない釣果やフィーリングがあるって話です。

天神崎 エギング アオリイカ 和歌山 釣太郎

釣りに熱中していた時に自分の中で決めていたテーマがありまして。「適当に釣りをしない」

適当っていうのはアタマの中の思考回路という意味です。

投げるのは適当に投げたりするのはありますよ。

「なんで今の魚は釣れたんかな」「いまずっとアタリないけど理由は?」

こじつけでもいいんで、ずっとそんなことを考えています。

偏ったこと言いますけど、それを考えない釣りというのは、自分は面白くないんですよ。

釣り部門でまとめると・・・

・釣りは状況を適切に判断できる人が結果を出しやすい

・正しい試行は結果に直結する

・運も試行錯誤がなければ引き寄せられない

※錯誤を付け足したのは間違っててもいいから試行を行うことの尊さを強調したかったからです。

・試行回数の重要性

ですね。

麻雀について

麻雀こそ2年くらいやりましたが、釣りから得た哲学を持っていたのですぐに本質を理解できましたね。逆に2年しかやっていないので、まぁズレた事というかもしれませんが。

麻雀ってね、大体2種類の強さがあるんですよ。

麻雀が強い人・・・知識や盤面整理が得意で卓内の情報をもとに判断を行う人

人間が強い人・・・これは卓外の情報すら拾っている打ち手です。ちょっとした所作、言動、雰囲気の変化など、他人の一挙手一投足から判断の基準に組み込んでいる人です。

ちなみに自分は、人間が強いタイプの打ち手です。持って生まれたものか知りませんが、なぜかここの能力は異様に長けていたんですね。

同世代の子何人かと同卓してきましたが、人間が強い子は一人もいませんでしたね。

僕より麻雀を理解している奴はごまんといましたが、一人残らず叩き潰してきました。

顔に全部出てるんで負けようがないんですね。

麻雀から得たことを書いていきましょう。

麻雀は、配牌というランダムな要素からスタートします。この配牌は完全に運任せで、良いスタートを切れる人もいれば、どうしようもない状態から始める人もいます。しかし、そこからツモと捨て牌を繰り返し、理想の形に近づけていくプロセスには、実力が如実に反映されます。

麻雀から学んだのは、「運はスタート地点でしかない」ということです。どんなに悪い配牌でも、自分の選択次第で勝機を見出せます。また、逆に良い配牌を引いたとしても、怠けたり、選択を誤ればあっという間にチャンスを失います。つまり、運はきっかけでしかなく、それをどう活かすかは自分次第なのです。

さらに、リーチを打つ瞬間から学んだのは、「勝負どころで迷わずリスクを取る覚悟」です。人生でも、すべての準備が整い「ここだ」という瞬間が訪れます。その瞬間に迷わず突き進むことでしか、理想の結果は得られません。

麻雀から得た知見まとめ

・配牌は運だが完成までのツモの取捨選択の進行次第で如何様にもなりうる

→環境や外的要因は決まっていても、変化を起こすのは自分の進行次第だということ

・一局が終われば、東2局と続いていく

→人生の結果の有無にかかわらず、また次の物語へとめくるめくページをめくっていく。

麻雀に関してはかなりの知見と人生哲学を得れましたね。

正直それを理解してしまってからは、その後の麻雀が「技術の向上」しかやることがなくなってしまって途端につまらない遊びに思えちゃったんですよね。

それで麻雀を辞めた部分も大いにあります。

釣りや麻雀など運が絡む要素から得た【人生と運】について

運とは、完全に制御できないものです。しかし、運を引き込む確率を高めることは可能です。釣りで言えば、何度も竿を出し、試行回数を増やすことでチャンスを掴むことができます。麻雀で言えば、選択を繰り返しながら理想の形を追求し、勝負所を見極めることで勝利に近づけます。


つまり、「運」は努力を積み重ねた先に訪れるものです。何もしない人には運は訪れませんが、粘り強く挑戦する人には、いずれ運が味方する瞬間が訪れます。この考え方は、人生のあらゆる場面で役立つ真理です。

また、運は時に理不尽な形で訪れることもあります。釣りで突然予想外の魚が釣れることがあるように、人生でも思いがけないチャンスや展開が舞い込むことがあります。そのような時に備え、柔軟に対応する心構えを持つこともまた、釣りと麻雀が教えてくれたことです。

まとめ

釣りと麻雀は一見すると単なる趣味や遊びに過ぎません。しかし、そこから得られる人生哲学は非常に深いものがあります。「運」と「実力」、そして「試行回数と粘り強さ」。この3つの要素を理解し、自分の人生に応用することで、私はより良い選択ができるようになりました。

釣りと麻雀をやり切った後、太っていたのでダイエットを始めましたが、95㎏~65㎏の30㎏減を1年半くらいで達成できましたね。

これも釣りと麻雀で【正しい試行回数(時間)と粘り強さ】が理想を得れる。と分かっていたから走り切れました。

そして、最後に大切なのは「楽しむこと」です。釣りでも麻雀でも、結果だけを追い求めると途端につまらなくなります。過程そのものを楽しむ心を忘れずにいることで、人生というゲームもまた、深く面白いものになります。

自分が一番苦手なのがこれですね(笑)

思った成果や考えを得た途端に、熱が急に無くなってしまうんですよね・・・

以上、釣りと麻雀を本気で取り組んできた男 運とは何かについて

 

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