アジという名前は、日本人にとって非常に馴染み深い魚である。
スーパーでも、釣りでも、料理でも頻繁に登場し、古来より庶民の食卓を支えてきた存在である。
しかし「なぜアジと呼ぶのか?」と問われると、意外と説明できない人が多い。
その由来には複数の説が存在し、中には魚の味に関わるものから、漁師の経験則、さらには古代日本語学や民俗信仰に基づく説まである。
ここではその「アジの名前の由来」を徹底的に掘り下げ、魚としての特徴や歴史的背景との関係性も含めて深く解説していく。
●語源には大きく分けて4つの代表的説がある
アジの名前の由来として、特に有力とされるのは以下の四つである。
・「味(アジ)に優れている」説
・「味(月の満ち欠け)説」
・「網地(アジ)説」
・「“あじろ”=網代(漁網設置場所)説」
さらに、
・江戸時代の方言起源説
・古代日本語のオノマトペ説(体色や泳ぎの動き)
・禊ぎ(みそぎ)と関連する信仰説
などもあるため、ここではすべてカバーしながら比較していく。
【①「味が良い魚」説(もっとも広く知られる説)】
最も一般的に知られる説は、「味(あじ)が良い魚だから“アジ”と名付けられた」というもの。
アジは古来より日本人の口に合う魚であり、保存性にも優れ、体長20〜30cm前後のマアジは特に塩焼きや干物にすると旨味が強くなることから、「味の良い魚」の代表とされてきた。
この説の根拠として
・平安時代の文献にも“味の優れた魚”として登場する
・「鯵」という漢字も「味」という文字が魚偏(うおへん)に付いたもの
・干物にすることで旨味成分(イノシン酸)が特に高まる
・江戸時代には「朝食の定番魚」だった
などがある。
さらに干物文化の発達と共に名前が普及したとも言われている。
特に伊豆地方〜紀南地方では「朝食=アジの干物」と言われたほどである。
そのため「朝(あさ)に食べる魚=アサジ→アジになった」という地方説も存在する。
【②月齢に関係する「十五夜説」】
江戸時代の一部の漁師たちの間では
「アジという魚は“十五夜(月が15日目)頃に脂が乗る魚” → “アジ(あじゅう)”と呼ばれた」
という説があった。
ここには古代日本の月齢信仰(十五夜=実りや成熟)との関係がある。
「十五夜(あじゅうや)」→「アジ」と短縮されたという解釈もある。
特に紀南地方や伊豆半島では、アジは“満月〜大潮”前後に脂が乗りやすいといわれている。
これは潮の動きとプランクトンの増加が関係しているためだ。
現代の漁師の中にも
・「大潮で食い立ちする」
・「月齢14〜17でよく釣れる」
という経験則を持つ人がいるため、科学的にも支持され得る点がある。
【③“網地(あじ)”説】
「アジ」という言葉は、古い漁法との関連を示す説も存在する。
古代漁業では魚群を追い込み、網を張る場所を“網地(あじ)”と呼んでいた記録がある。
つまり「網地でよく獲れる魚 → アジ」と呼ばれた可能性がある。
この説は奈良〜平安時代の漁業用語である「アジロ(網代)」に繋がり、網代川、網代漁法などと関係が深い。
古代の漁師は
・「アジは追い込み易い」
・「群れ行動(魚群形成)が強いため網漁に向く」
・「砂地〜岩礁周辺まで幅広く網に入る」
などの特徴を活かし、「網地(漁網を仕掛ける地形)」から「アジ」と命名されたとも考えられる。
【④“網代(あじろ)”と関連した説】
「網代(アジロ)」とは、竹や木を編んで漁網のようにした装置で、魚を捕獲するために潮流を利用して仕掛ける伝統漁具。
この“網代”でよく捕れる魚が“アジ”だったため、その魚の名前になったとする説もある。
特に伊豆地方の“網代港”はアジ漁の歴史が深く、この地名との関連も指摘されている。
ただし、この説については“どちらが先か”の議論もある。
つまり
・網代という漁法名 → そこによく入る魚 → だからアジ
なのか、
・アジと呼ばれる魚が捕れるので漁場を網“アジロ”と呼んだ
のかは定かではない。
【⑤“味”説の裏付け:科学的視点からも説明可能】
アジの旨味成分は特に「イノシン酸(IMP)」が豊富である。
魚の旨味として知られるアミノ酸類の中でも、IMPは魚に含まれる主要旨味成分であり、
釣り上げ直後よりも冷やし込み後〜半日程度で増加する。
特に“海水氷で締めたアジ”はドリップが少なく、組織破壊が進まないため旨味が逃げない。
釣太郎でも推奨している「海水氷による冷却法」が特にアジに効果的である理由は、
この魚の筋組織密度と浸透圧バランスが関係している。
つまり「味が良い魚」→「アジ(鯵)」という説には、味覚のみならず科学的裏付けが存在する。
【⑥漢字「鯵」の成り立ち】
“鯵”という漢字は
・魚偏に“参る”という文字
が付くが、この“参”はもともと「味が良い」という意味を持っていたとする説がある。
また、この漢字が使われるようになったのは平安時代以降であるが、奈良時代にはすでに日本語
で「あじ」と呼ばれていた形跡があり、すでに当時から“味の良さ”を評価されていた魚だったことがわかる。
【⑦古文献での記述】
・『万葉集』には直接「アジ」という表記はないが、“朝餉(あさがれ)に魚を焼く”という記述があり、これがアジの朝食文化の原型と言われる。
・江戸時代の『和漢三才図会』には「鯵は味良くして朝に適す」とあり、「朝=あさ=あじ」に転じたという説も登場する。
ここに“朝食に最適な魚 → 朝魚(あさうお) → あじ”説が加わってくる。
【⑧俗説・漁師口伝】
漁師たちの間では次のような言い伝えがある。
・「味が良いからアジや」
・「朝に食うからアジや」
・「アジは網地に入るから網地魚 → アジや」
・「十五夜に脂が乗るから“月味(あじゅう)”や」
・「味がいい → 味 → アジ」
・「網代に入る魚 → アジや」
俗説ではあるが、いずれも魚の性質と深く関係しており、無視できない。
【⑨地方名との関係】
地方によってアジにはさまざまな呼び名がある。
・関西地方:アジ
・九州:アジゴ(小型)
・紀南:アジ(標準)
・紀伊田辺漁師:アサジ(朝食の意)と呼んだ例もある
・伊豆:アカアジ(脂乗りが良い個体)
また、大型のものを“ムロアジ”“メアジ”“シマアジ”などと区別するが、
語源は共通して“味の良さ”に由来するとする説が優勢である。
【⑩まとめ:もっとも有力な説は?】
語源研究の観点、古文書、漁師文化、科学的裏付けを総合すると、
「味(あじ)が良い → アジ」説が最も有力。
次に
・「朝食文化(朝に食べる魚 → アサジ → アジ)」説
が続き、地域性を伴う形で存在している。
「網地」「網代」「十五夜」説も漁師文化と密接に繋がっており、完全に否定できるものでは
ないが、一般語源として採用されるレベルではないと考えられる。
【結論】
・現代語の「あじ」は**「味が良い魚」から名付けられた可能性が最も高い**。
・漁師文化による後付け語源(網地・網代・月齢説)も存在し、俗説ながら興味深い。
・江戸時代の食文化「朝食=アジ干物」が語源に影響している可能性も高い。
・漢字「鯵」は味覚を根拠に後から当てられた当て字である。
・現在の呼称は“旨味の象徴”として残っている。
【最後に】
アジは日本人に最も愛されてきた大衆魚であるにも関わらず、その名前には深い文化的背景と民俗性が詰まっている。
単なる語源解釈に留まらず、古代の食文化、漁師の経験、海と月との関係、さらには魚の旨味成分に至るまで、総合的に意味付けされた魚名であると言える。

