2025年10月、夜明け前の和歌山・南紀の地磯。 満天の星の下、静寂を切り裂くように
リールのドラグが叫ぶ。
「ジーーーーーーーッ!」
この音を待っていた。この瞬間のために、我々ヤエン師はここにいる。
竿先に伝わる生命感、時折止まってはまた走り出すライン。
キロアップか、いや、2キロはあるかもしれない…。
高鳴る鼓動を抑え、アオリイカがアジをしっかりと抱き込むのを待つ。
そして、最高の興奮と共に訪れる運命の瞬間、「ヤエン投入」。
しかし、ヤエン釣りは、この一投が天国と地獄の分かれ道であることを、我々は嫌というほど知っている。
最高の興奮から、最悪の絶望へ
慎重に、だが大胆に。祈るような気持ちでヤエンをラインに乗せ、滑らせていく。
ラインの角度、竿のさばき、全てに神経を集中させる。
「届け…かかれ…!」
心の中で叫んだその時、竿先から「フッ…」とテンションが消えた。
さっきまで確かに感じていた、あの生命感に満ちた重みが、嘘のように消え去っている。
恐る恐るリールを巻くと、軽い。軽すぎる。
やがて海面に姿を現したのは、アオリイカの姿ではなかった。
こちらの敗北をあざ笑うかのように、ヤエンと、ボロボロに傷ついた活きアジだけが虚しくぶら下がっている。
通称「中ブランコ」。
何度経験しても、この光景を目の当たりにした時の、全身から力が抜けるような、あの「がっくり」来る感覚は慣れることがない。
興奮と期待が一瞬で霧散し、後に残るのは、言葉にならないほどの空しさだけだ。
なぜ、あれほど空しいのか?
ヤエンが中ブランコになった時の感情は、単なる「バラシた悔しさ」とは少し違う。
- 期待値の大きさ: 長い時間と手間をかけ、アジを泳がせ、やっとの思いで乗せた一杯。その期待値が大きい分、失った時の喪失感は計り知れない。
- 自問自答の始まり: 「投入が早かったか?」「寄せが強引だったか?」「ヤエンの選択ミスか?」と、自分の判断や技術への疑念が頭を駆け巡る。答えの出ない問いに、ただただ空しさが募る。
- 敗北感: まるで、アオリイカに「お前の技術ではまだ早い」と、見透かされたかのような完全な敗北感。
あの静寂の中、傷ついたアジが揺れる光景は、ヤエン師にとって最も見たくない、しかし最も記憶に残るワンシーンなのである。
この「空しさ」こそがヤエン釣りの魅力だ
しかし、不思議なことに、我々はこの絶望的な空しさを味わっても、またアジを付け、次のアタリを待ってしまう。
なぜなら、この「がっくり」が深ければ深いほど、無事にヤエンが掛かり、巨大なアオリイカが
海面に浮き上がった瞬間の喜びが、何倍にもなって返ってくることを知っているからだ。
失敗があるから、成功の価値が高まる。
逃げられた悔しさがあるから、「次こそは」という情熱が燃え上がる。
アオリイカの聖地と呼ばれるこの和歌山・南紀の海は、我々に最高の興奮と、そして時としてこの上ない虚無感を与えてくれる。
その両方を味わい尽くすことこそが、ヤエン釣りの真髄なのかもしれない。
まとめ:「中ブランコ」はヤエン師の勲章だ
ヤエンが空しくアジと帰ってくる「中ブランコ」。
それは紛れもない失敗の証だ。
しかし、それは同時に、あなたがアオリイカと真剣に向き合い、勝負を挑んだ証でもある。
この空しさを味わった数だけ、我々は確実に成長している。
さあ、気を取り直して、次のアジを付けよう。
そしてまた、あの静寂を切り裂くドラグ音と、一瞬の興奮を追い求めようではないか。


