ある春の日の昼下がり。
南紀のとある漁港で、いつものように釣りをしていた青年が、海面に絡まるロープとともに、何かを引き上げた。
最初はただのゴミかと思った。
しかし、海藻と網が絡まったそれをよく見ると、そこにはかつての釣り人の相棒が眠っていたのだ。
海水で錆びつき、カモフラ柄のロッドは塩と時間に浸食されている。
リールも糸も原形をとどめてはいるが、すでに実釣には耐えられないほど朽ちていた。
だが、そこに宿る「物語」だけは、色褪せていなかった。
この竿は、誰のものだったのだろう?
何を釣ろうとして、どんな海に向き合っていたのだろう?
そして、なぜ海の底で眠ることになったのか。
もしかすると、大物をかけて、強引に引かれたのかもしれない。
あるいは、波にさらわれてしまったか。
あるいは、長年放置されたまま、堤防の隙間から落ちていったのか。
今となっては知るすべもない。
けれど、この竿には確かに「誰かの釣りの記憶」が刻まれている。
引き上げた青年は、それを丁寧に洗い、
「また誰かに見つけてもらえるように」と、港の隅にそっと置いた。
釣り人は、釣果だけを追っているのではない。
釣り場で流れた“時間”や“記憶”を大切にしているのだ。
この竿もまた、かつて誰かの休日を彩った“道具”であり、
いまは海の語り部として、そっとそこに佇んでいる。
◆ 釣り場には、魚だけでなく「記憶」も眠っている
海はすべてを飲み込み、
そして時に、こうして私たちに過去のかけらを返してくれる。
釣り人にしか見えない物語が、
今も海の中に、たしかにあるのです。


