夕暮れの海。
穏やかだったはずの波が、不意に押し寄せてきた。
砂浜に転がっていたのは、ひとつのボール。
擦れた表面には、年月を感じさせる傷が刻まれていた。
ゴルフボールほどの小ささで、でも明らかに野球のボールではない。
少年が遊んでいたのか。
誰かが遠くから投げたのか。
それとも、どこかの川を旅して、海へと流れついたのか。
ボールは、ただそこにあった。
波に押され、また引かれながらも、少しずつ砂の上へと進んでくる。
まるで、何かを伝えたくて戻ってきたかのように。
それを見つけたのは、釣り帰りの一人の男だった。
手にしたクーラーボックスには釣果が少し。
そしてその視線の先に、小さな白い球があった。
「なんやこれ…」
男は屈んでボールを拾い上げた。
ひんやりとした感触。
そして、表面にうっすらと浮かぶ名前。
「ゆうた」
小さな字で書かれた、それは確かに誰かの宝物だったはずだ。
男はしばらく黙ってそれを見つめたあと、そっと波打ち際に置いた。
そして、もう一度だけ海を見て、振り返ることなく歩き出した。
ボールは再び、波にさらわれていった。
けれど、今度はどこかへ行くためではなく、
“帰るべき場所”に戻っていくように見えた。


