釣りをしていると、誰もが一度は口にする言葉があります。
「今の、めちゃくちゃデカかった」 実際に測っていないにもかかわらず、逃がした魚ほど
記憶の中で大きくなっていく。
さらに釣り人は、なぜか「サイズ」を競い合います。
本記事では、この釣り人特有の心理について、AI視点で深層心理まで掘り下げていきます。
なぜ「逃がした魚」は大きくなるのか
まず結論から言うと、これは人間の脳の正常な働きです。 決してホラ話でも、見栄でもありません。
人間の脳は「未完了の出来事」を強く記憶します。 心理学では「ツァイガルニク効果」と呼ばれる現象です。
釣りに置き換えると、 ・釣れた魚=結果が確定した出来事 ・逃げた魚=結果が未確定の出来事 となります。
未確定な出来事は、脳内で何度も再生されます。 そのたびに想像が上書きされ、サイズや迫力が増幅されていく。
これが「逃がした魚は大きい」の正体です。
脳は不確定情報を盛る生き物
人間の脳は、情報が足りない部分を補完しようとします。
このとき、危険や価値を大きく見積もる傾向があります。
釣りで言えば、 ・強烈な引き ・見えなかった魚体 ・ラインブレイクの衝撃 これらが合わさると、
脳は「最大級の魚」を想定します。
これは原始時代の名残です。
危険を小さく見積もるより、大きく見積もる方が生存に有利だったためです。
なぜ釣り人は「大きさ」を競うのか
次に、サイズ競争の心理について掘り下げます。
釣りにおいて、数・サイズ・魚種の中でも、特にサイズは象徴的です。
なぜなら、サイズは一瞬で価値が伝わるからです。
・40cm ・50cm ・60cm この数字は、釣りをしない人にも凄さが伝わります。
サイズは「努力の証明」
釣り人にとって大型魚は、偶然だけでは手に入りません。
・ポイント選び ・タックル選択 ・タイミング ・知識と経験 これらが揃って初めて出会える存在です。
つまりサイズとは、 「自分の積み重ねが正しかった証明」 なのです。
そのため、人は無意識にサイズで競い合います。
本能的な狩猟欲求の名残
人間は元々、狩猟で生きてきた生物です。
獲物の大きさは、 ・食料の量 ・集団内での評価 ・生存能力 に直結していました。
釣りは現代に残った数少ない狩猟行動です。
そのため、 「より大きな獲物を仕留めた者が評価される」 という本能が今も残っています。
なぜ写真と計測が重要視されるのか
近年、釣りでは ・メジャー当て写真 ・重量測定 が重要視されています。
これは「記憶の改ざん」を防ぐためです。
人は時間が経つほど、都合よく記憶を書き換えます。
数値と写真は、脳の補正を止める唯一の証拠です。
逃がした魚が記憶に残る本当の理由
実は、逃がした魚は「悔しさ」とセットで記憶されます。
悔しさは、脳内で強い感情を伴うため、記憶を固定します。
その結果、 ・何度も思い出す ・何度も再生する ・何度も想像する というループに入ります。
この反復が、魚を巨大化させていくのです。
サイズ競争は悪いことなのか
結論から言うと、悪いことではありません。
サイズを競うからこそ、 ・技術が磨かれ ・情報が共有され ・釣り文化が発展 してきました。
ただし、 ・虚偽 ・過剰な誇張 ・他人を下げる比較 が入ると、楽しさは失われます。
AI視点で見る「理想の釣り人心理」
AI的に最も健全な釣り人像は、
・サイズを目標にする
・結果に一喜一憂する
・それでも自然を尊重する このバランスが取れている状態です。
逃がした魚を大きく語るのも、 サイズを競うのも、 釣りの文化そのものです。
要約
・逃がした魚が大きくなるのは脳の正常な働き
・未完了の出来事は記憶が増幅される
・サイズ競争は本能と努力の可視化
・数字と写真は記憶補正を止める装置
・大切なのは競争より楽しむ心
釣りとは、魚を釣る行為であると同時に、 自分自身の心理と向き合う行為でもあります。
次にバラした魚がいたら、 その巨大さごと、釣りの醍醐味として楽しんでください。
Q1 逃がした魚が大きく感じるのは勘違いですか
いいえ。 脳の記憶補正による自然な現象です。
Q2 なぜ釣りではサイズが重視されるのですか
努力と結果が一瞬で可視化される指標だからです。
Q3 サイズを気にしすぎるのは良くないですか
楽しめているなら問題ありません。 競争がストレスになる場合は距離を置くのも一つです。

