堤防を見渡すと、面白いコントラストに気づくことがあります。
ジャージにサンダル履きで、手ぶらのような軽装でふらりと現れるおじいちゃん。
その隣には、最新のウェアに身を包み、高級タックルとクーラーボックスを完備したお兄さん。
同じ場所で、同じ魚を狙っていても、二人の頭の中にある「釣りの意味」は、
たぶん水と油ほど違います。
今日はそんな、地元釣り人と遠征釣り人の「目的の違い」について、少し掘り下げてみましょう。
地元の釣り人:海は「勝手知ったる冷蔵庫」
私たちのような海辺の住民にとって、釣りは特別なことではありません。
「夕飯のおかず、ちょっと確保してくるわ」。
感覚としては、スーパーやコンビニに行くのと大差ないのです。
彼らの釣りは「生活の一部」です。
仕事が終わってからの夕涼み。
散歩ついでに竿を出す。
だから、無理は絶対にしません。
「今日は風が強いな」と思えば、竿も出さずに海を見て帰る。
「潮が動かん」と思えば、10分で切り上げる。
なぜなら、明日も明後日も、海は逃げないからです。
コストも労力も最小限。
釣れたらラッキー、釣れなくても「まあ、そんな日もあるわな」
で終わる日常のひとコマ。
この「圧倒的な余裕」こそが、地元勢の強みであり、独特のゆるい空気感を作っています。
都会の釣り人:海は「夢を追うイベント会場」
一方で、大阪や京阪神、あるいはもっと遠くから時間をかけて来てくれる皆さん。
これはもう、完全に**「一大イベント」**です。
往復の高速代、ガソリン代、エサ代。
そして何より、仕事の疲れを推して作り出した、貴重な休日という時間。
これだけのコストをかけている以上、そこには並々ならぬ「覚悟」があります。
彼らの釣りは「非日常への挑戦」です。
だから、少々の雨や風では諦めません。
地元の人間が「今日はやめとけ」と言うような天気でも、カッパを着込んで投げ続けます。
「せっかく来たんだから」
「手ぶらでは帰れない」という執念にも似た情熱。
それは、スーパーで魚を買うという経済合理性を超えた、ロマンへの投資なんですよね。
一匹の魚に対する価値が、地元勢のそれとは桁違いに重いのです。
どちらも正解、だから海は面白い
地元の人は、都会の人の必死さを見て「物好きなことやなあ」と笑うかもしれません。
都会の人は、地元の人の淡白さを見て「こんないい海があるのに勿体ない!」と思うかもしれません。
でも、違って当たり前なんです。
生活に溶け込んだ、穏やかな釣り。
日常を忘れて没頭する、熱い釣り。
目的が違えば、スタイルも違う。
けれど、竿先に伝わる魚の鼓動にドキドキする瞬間だけは、どちらも同じ少年のような顔をしています。
釣太郎は、そんな両方の釣り人を全力で応援します。
「今日の晩ごはん」を求める人も、「一生の思い出」を求める人も。
それぞれのスタイルで、南紀の海を楽しんでいってくださいね。

